
出典:Grandma Moses (Anna Mary Robertson Moses)/NATIONAL MUSEUM OF WOMEN IN THE ARTS
こんにちは!
当記事では、年齢を重ねてから世の中に知られるようになった
遅咲きの画家、漫画家1人ずつを紹介します。
人生の先輩である彼ら、彼女の生き方から私たちが学べることも多いはず!
1. グランマ・モーゼス(1860年~1961年)

さて、まず初めにご紹介するのがアメリカの国民的画家、グランマ・モーゼスです。
日本では、『モーゼスおばあちゃん』とも呼ばれています。
彼女は、1860年にアメリカのニューヨーク州で貧しい農家の子として誕生しました。
しかし、実家の貧しさ故に、12歳で裕福な農家に奉公に出ます。
そして、その勤め先で出会った夫と結婚した後も、
老年になるまで貧しい家庭を切り盛りしながら農業に従事し続けました。

そんなグランマモーゼス、実は絵を本格的に描き始めたたのはなんと75歳!
きっかけは、関節炎を理由に長年の趣味であった刺繍ができなくなってしまったことでした。
そのモーゼスの姿を見た妹が、絵を描くことならできるだろうとリハビリの一環として勧めたのです。
そして絵を描き始めてから2年後、ドラッグストアに飾ってあった彼女の絵が
偶然ルイス・カルドアという美術収集家の目にとまります。
彼はその絵を気に入り、彼女の絵を度々購入するようになりました。
それら作品が、画廊やニューヨーク近代美術館に持ち込まれて人々の話題を集めるようになりました。
その後、彼女は80歳で初の個展の開催、また百貨店での展示会に出展したことで
その人気はアメリカ中に広がりました。
なんと、当時の大統領であったトルーマンにホワイトハウスに招かれたり、
その次に就任したアイゼンハワー大統領に絵画を贈呈するなど誰もが認める国民的画家となりました。
そして、彼女は、101歳で亡くなるまで絵を描き続け、その数なんと約1600点にのぼりました。
彼女の描いた人々の日常や田園風景は、今でもアメリカで強い共感を得て愛され続けています。
2. やなせたかし(1919年~2013年)
続いてご紹介するのは、日本の国民的的漫画家、やなせたかしさんです。
彼の代表作『アンパンマン』シリーズには、みなさんが子どものとき、
そして大人になってからは子育てをするときにお世話になった方も多いのではと思います。
そんなやなせさんも実は遅咲きの漫画家でした。
34歳のときに漫画家として独立するも、当時はあまり売れず
他の舞台の美術製作や放送作家の仕事で生計を立てていました。
そして、アンパンマンシリーズの前身となる『あんぱんまん』という絵本が出版したのは、
彼が54歳のときでした。
しかし、出版当時は批評家や大人たちから大きなバッシングを受けてしまします。
「自分の顔をちぎって食べさせるとは何事だ」ということや、
自身の顔を与えた後にエネルギーを失うあんぱんまんを見て
「こんな弱々しいヒーローなんか受け入れられるわけがない」ということを言われてしまします。
また、世間からだけでなく、編集部の人々からも
「こんな本はこれっきりにしてくださいね」と言われる始末でした。
やなせさん自身、この評価を聞いてすっかり自信を無くして落ち込んでしまいます。
しかし、数年経つと、とある話を耳にするようになります。
それは、大人にあれだけ酷評された『あんぱんまん』が、
全国の幼稚園・保育園児の間で大人気になっているというのです。
そして、子どもたちの喜んで『あんぱんまん』を読む様子を見て、
大人たちの間でも次第にこの本が評価されるようになりました。

やなせさんが69歳のときには『それいけ!アンパンマン」としてアニメ化され、
子どもたちの大人気アニメとして不動の地位を築き上げました。
その後、2013年に94歳で亡くなるまで、精力的に活動し続けたやなせさん。
遅咲きながらも、アンパンマンを通して「愛と勇気」の尊さ、
そして「正義」の意味を訴えかけ続けた彼の功績は偉大ですね。
3. 最後に
遅咲きの画家・漫画家として、『グランマ・モーゼス』さんと
『やなせたかし』さんをご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。
年齢を重ねてからの作品だからこそ、
彼らの人生観や価値が反映されたより深みのあるものが生まれたのだと思います。
私も、年齢に屈せずに活躍され続けたお二人の生き方を見習っていきたいです!