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皆さんは、芸術家アルフォンス・ミュシャという名前を聞いたことがありますか?

彼が紡ぎだした、「線の魔術」ともいえる華やかな作品は、今なお、世界中の人たちを魅了し続けています。

ミュシャが手がけたポスターなどのグラフィック作品はもとより、ミュシャ幼少期の作品、蔵書や工芸品、アトリエで撮影された写真、祖国チェコへの想いを込めた作品などを通して、ミュシャの多様な魅力に迫ります。

またミュシャの作品は、明治期の文芸誌から、1960-70年代のイギリス・アメリカを席巻したグラフィック・アート作品、日本のマンガ家やイラストレーターの作品まで影響を与えました。

今回はそんな、時代を超えて愛される画家ミュシャの魅力について迫ります!

ミュシャの生い立ち

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ミュシャは1620年以来300年近くにわたってオーストリア帝国に占領されていたチェコで生まれました。

当時、厳しいゲルマン化政策のためにチェコの公立学校ではチェコ語を使うことは禁止されドイツ語による教育が行われていました。

そのため若い世代はチェコ語を忘れ、母国語を理解できなくなっていたのです。 そのような時代にミュシャは片田舎の町イヴァンチッツェの貧しい家庭に生まれました。

ミュシャは、幼いときから絵の才能を発揮しており、18才の時 プラハの美術学校進学を希望しますが書類審査で落とされて入学はできなかったそうです。

そこで、新聞広告で知ったウィーンにある舞台美術の工房に就職、仕事をしながら夜間の絵画教室に通って勉強していましたが、工房の都合により、ミュシャは解雇されてしまったようです。

失意のミュシャは田舎町で肖像画を描いたりしながらあてもなく放浪していた際、後のパトロンになった貴族クーエン=ベラシ伯爵と出会いました。

爵の城館での絵画修復や制作が認められ、パリのアカデミーで勉強する幸運に恵まれたものの、1889年に突然援助が打ち切られてしまいました。

そこで、生活のためにミュシャはやむなく書籍や雑誌の挿絵・表紙などの仕事をはじめたところ、緻密なデッサンと 緊張感ある画面構成が注目され、ミュシャはフランス最高の挿絵画家と肩をならべて評価されるようになります。

ミュシャの作風

ミュシャの生い立ちで示したように、ミュシャは画家というよりもイラストレーターとして活躍しました。

彼の作品の多くはポスターなどの広告を目的としたイラストであるため、とにかく目を惹く華やかさがあります。

中央にふくよかで美しい女性、彼女が身に纏う布の繊細な表現、周囲には草花をモチーフにした幾何学模様が細やかに描かれているのが特徴で、この描き方は日本でも好まれ、現在まで画家やイラストレーター、デザイナー、漫画家などに広く模倣されてきました。

また、星や宝石、花などを女性の姿に擬人化して描いたり、四季や四芸術など概念的なものをやはり女性の姿に擬人化した四連の作品を描きました。

しかし、こうした多くの人に愛され、影響を与えた作品はミュシャの画家人生の前半に描かれたものが多いそうです。

後半に描かれた作品は、祖国であるチェコを想いながら描いた油彩画で、それらはどこか暗く、悲しい作品が多いそうです。

引用元:ART LOVER

■作品紹介

アルフォンス・ミュシャ「夢想」

アルフォンス・ミュシャ「黄道十二宮」

このように女性を描いた作品がかなり多く描かれました。

おわりに

名前をよく聞き、とても有名な画家であったことから作品を見たことはありましたが、ミュシャの人生を調べてみるとかなりの苦労人であったことも分かりました。

線の魔術とも言われ、とても細かい技法を用いた作品が多く、ミュシャがいなければ日本の漫画、イラスト文化もまた異なるものだったのかもしれません。

調べれば調べるほど奥が深い、そんなミュシャや彼の作品に興味を持ったら是非調べてみてください!

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