
こんにちは!
当記事では、10代~20代でこの世を去った短命な画家たちについてご紹介します。
芸術家は、若くして亡くなる方も多いですが、その短い生涯のなかで
後世の私たちの感情を揺さぶり続けるような作品を生み出した、彼らの生き方や人物像に迫ります!
1. 画家は長命、作家は短命?

皆さまは、見出しの「画家は長命、作家は短命」という言葉を聞いたことはありますでしょうか。
この説を考えてみると、なるほど確かに芥川龍之介は35歳、太宰治は39歳。
さらに宮沢賢治も37歳で亡くなっているし、樋口一葉は24歳というかなりの若さです。
さてさて、「作家は短命」というのはあながち噓ではないかもしれないですね。
しかし、「画家は長命」というのは、どうでしょうか。
確かに、短命の画家はあまり思いつかないなぁ・・・。という方も多いのでは?
ということで、今回は短い生涯ながらも素晴らしい作品たちを残した
「短命の画家」を4人ご紹介していきます!
2. 青木繁(1882~1911)享年28歳

代表作『海の幸』で知られる青木繫。
学生時代の教科書でこの方の名前を聞いたことがある人も多いのではないでしょうか?
そんな彼も、実は28歳という若さでこの世を去っています。
青木繫は、17歳のときに単身で上京し、
東京美術学校(現在の東京藝術大学)に西洋画科選科に入学しています。
そこでは、『湖畔』等の作品で有名な黒田清輝に師事しました。(下図参照)

出典:《湖畔》よもやま話/東京国立博物館
しかし、彼は家族と上手くやっていくことができず
放浪生活の末、最後は結核を患って1911年に亡くなっています。
彼には恋人の「福田たね」との間に息子がおり、
その息子は、後に福田蘭童として尺八奏者として活躍しました。
また、蘭童の子はクレージーキャッツというジャズバンドのメンバー、
石橋エータローとして世間に名を残しています。
若くして亡くなった繫ですが、
その才能は息子、そして孫に受け継がれていたのですね。
出典:名作が生まれた港/日本埋立浚渫協会
3. エゴン・シーレ(1890~1918)享年28歳

エゴン・シーレは「サイコパスな天才画家」と度々いわれる、なかなかキャラの濃い画家です。
彼の波乱に満ちた人生は人々の好奇を呼び、2016年には
「エゴン・シーレ 死と乙女」という名で映画化されています。
興味のある方は、ぜひご覧になってみてください!
さて、そんなシーレ、実は『接吻』等で有名なクリムトの弟子をしていました。(下図参照)
彼の才能を認めていたクリムトは、非常に彼を可愛がっていました。

出典:接吻 (クリムト)/フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
しかし、絵の才能に優れていた一方で、彼は、数多くの女性問題を抱える問題児でした。
未成年者の少女を集めてヌードを描いていたことが原因で、なんと逮捕歴まであります。
このように、女性問題についてかなり「ぶっとんでいた」彼ですが、
最後は当時大流行していたスペイン風邪であっけなくこの世を去ってしまいます。
彼のセンセーショナルな生き方、
そしてどこか暗く、寂しく、同時に傲慢さを感じさせる彼の作品は、今でも多くの人を惹きつけています。
出典:エゴン・シーレ 死と乙女/フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
4. バスキア(1960~1988)享年27歳

バスキア、その名を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。
ZOZOタウン創業者の前沢友作氏が、彼の『Untitled』という作品を
オークションで約123億円で落札したことが一時期大きな話題になりましたね。
そんな日本でも有名なバスキアですが、彼も27歳という若さで亡くなっています。
バスキアは15歳の頃から家出を繰り返し、警察の世話にもなるなど荒れた青春時代を過ごしていました。
しかし、高校を中退した17歳頃から始めた
地下鉄やスラム街でのスプレーペインティングで、彼は才能を現し始めます。
彼の絵は評価されるようになり、個展を開けば多くの人が集まるようになりました。
そして、24歳頃には、絶大な人気を誇るアーティストとして地位を確立し、
ニューヨークタイムズの表紙を飾るまでになりました。
そんな人気絶頂のさなか、彼は薬物過剰摂取によりこの世を去りました。
彼は、アカデミックな教育を受けることはなく、路上でのスプレーアートで昇りつめてきました。
また、彼は「黒人アーティスト」というレッテルに嫌悪感を抱いていたといいます。
このような、社会に対しての「生きづらさ」を抱えていたからこそ、
内側から湧き出る湧き出るエネルギーを作品にぶつけることができたのかもしれません。
出典:ZOZO前澤氏123億円購入作品も! 「バスキア展 メイド・イン・ジャパン」/朝日新聞DIGITAL
5. 山田かまち(1960~1977) 享年17歳

今回ご紹介するアーティストの中でも圧倒的な若さで亡くなった山田かまち。
アーティストの氷室京介と幼稚園の頃から深い親交があったことでも有名です。
かまちは、実はアーティストとして活動した経歴はありません。
彼は、17歳の夏に、自宅でエレキギターの練習中に感電死してしまいます。
そして、亡くなった1週間後に、母親が彼の部屋から多くの絵や詩、日記、ノートを発見しました。
それらが『悩みはイバラのようにふりそそぐ 山田かまち詩画集』(1992年)
として世に出たのが、彼が有名になったきっかけでした。
著書の中で姿を見せた、好きだった女性に対する感情や生きることに対する決意など
彼の若さからあふれる情熱は、日本中の人々の胸を打ちました。
出典:17歳という若さで亡くなった異色の天才 山田かまち【画家・詩人】/NAVERまとめ
6. 最後に

いかがでしたでしょうか。
短い生涯ではありましたが、彼らが見て、感じた世界は作品の中に鮮明に残されています。
そのような、彼らの若々しいまま時のとまった作品たちに
人々はある種のきらめきと切なさを感じるのでしょう。
私たち自身も、残りの人生しっかりと足を踏みしめて生きていきたいものですね。